個室から4人部屋へ

先日父は個室から4人部屋へ移れた。

(より重症の人が出たから押し出しなのかも?)

症状が少しましになったとはいえ
いつお迎えが来るかわからないと
私はこの2週間、毎日気が気ではない。

今は4人部屋にいる。

持ち込んでいるオムツのサイズ(M)が
大きすぎるようになってきたと
次からは、Sサイズにして下さいと言われる....

体重が35キロになってしまっているので
本当に痩せてしまって わたしは涙が出そうになる。
健康な時は172センチ55キロくらいでスラリとしてたんだけどねー

食事は小さいオレンジゼリーやりんごゼリー
モモゼリーなどで
それを一日に半分くらい食べれば良い方である。

あせって食べさせても
誤嚥性肺炎になるのが怖い。
誤嚥性肺炎は本人が苦しいだろうと思う。

点滴の針がもう入らないし
指先や手の甲などから点滴を入れて
(手は腫れてしまい)
なかなか落ちていかない様子である。

すべての面で詰んでいる(!?)というべきか?

少しでも長く生きていて欲しい気持ちと
矛盾した気持ちが交錯するが
父の顔を見に行かずにはいられない自分がいる。

今日は機嫌よく笑っていた父の写真を撮る事ができた。
「私がついているから大丈夫」と言ったら
「ホンマかいな~!」と
父は声をあげて笑った。

久しぶりに笑った父を見た。
今日は行って良かったと心から思った。

明日のことは、わからない。

 

あと少しかも・・・・

月曜から個室に移っている父のことで
病状説明を受けました。
口から食べることをしなくなっているので、
あと何週間か、で 最期を迎えるかもしれないと
入院先の、Drから説明がありました。

それは,来週かもしれないし再来週かも?
でも、急に訪れることもあると。

高カロリー点滴の栄養などをしないのか?という
最終確認でした。

(思わず、栄養の点滴や胃ロウに飛びつきそうになるものの
 もうずっと、この様子の繰り返しで
 父も身体がしんどそうです。)


7月31日に尿管ステントを交換して
(一旦酷くなった誤嚥性肺炎の症状をなんとか快方に向かわせて)
8月15日に急性期の病院から今の病院へ転院して来ました。
今の病院は、4月12日から7月31日までお世話になっていた病院です。

4月に初めてここへ入院した時は
まだ特養を退所せずにキープしておくように
かなり言われてこちらもそうですね というとおりしたものの
特養とは困った関係になってしまったのですが。
6月終わりに特養は退所手続きをしました。

今回の入院後、月曜日に個室に移ってから
看護師さんもみんな優しい....
というか
申し送りされているんだろうな~
携帯に注意していて下さいって
いつも言われている。

ずっと覚悟はしていたが、実際に今の状態になると
悲しい

急性期の病院から もとの病院へ転院

 とりあえず、父は病状が落ち着いたので

急性期の病院から、K病院(4月から7月までいた病院)へ

転院できた。

でも食べる量は減っているし、次回のステント交換は

微妙だと思う。

 

螺旋

父は7月31日に尿管ステント交換の処置をした。

処置は成功したが麻酔からの戻りが悪いとの説明が泌尿器科のDr.からあった。

 

その後(嚥下が衰えてしまったからか)誤嚥性肺炎と診断される。

 昨日8月4日(10ヶ月前に誤嚥性肺炎で初めて入院した時と同じ)Dr.から説明があった。

 

このまま誤嚥性肺炎を治療していく事、栄養の状況が悪くなるが胃ロウは考えないか?という事。

胃ロウの件は、10ヶ月前にも尋ねられた事の再確認のようだった。

苦しそうだが胃ロウは考えない、と私は答えた。

 

10ヶ月前と同じだが、父だけがより弱っている。

同じ事を繰り返しながら、少しずつ弱っていく。仕方ないが

悲しい。

 

急死や突然死もきっと悲しいと思うが、今の状態も十分私には辛い。 

 

 

 

 

低迷中・・・・

 内緒だけど、父が今の病院に入院しもう3ヶ月が過ぎた。

尿管ステントの交換のために別の病院へ転院する。

1泊か2泊で戻れるらしい。

 

療養型病院を待っているのだけれど、

相談員さんから特養に申込用紙を出してみては?と言われた。

ステント交換後は発熱などで落ち着かないので

病院にいられるのは、私にとっては安心であるが、

私の頭は、????なのであるが、

療養型病院の話はどこへ行ったのだろうか?

出たとこ勝負かな もうこうなったら。

 

 

 

父の日に 父のオムツを買って届ける

現在は療養型病院の空き待ちで

急性期の病院から紹介された病院にいる父である

 

オムツ持込可なので、実費の方が負担が少ない

(それでもだいたい12000~15000円/月)

ので、アマゾンや近くのドラッグストアーで

オムツを購入し届ける節約屋のわたしです。

 

もう少しで、この病院を出なければいけない

のが気がかりである。

 

 

 

来し方

自分用まとめ(2017年現在・父86才母87才)

2011  両親が引越しをする。

    同じ町内で、500メートルも離れていない場所。
    48年ぶりという引越しである。
   (この引越しは5~6年前から決まっていたこと。)

   引越しの手配は、父がしたが心もとない。小学生みたいなかんじである。(調子の良い時は6年生、悪い時は1年生みたいと感じる)

2012年 引越し後、両親ともに少しおかしい。
   

2012年 8月初め、外で倒れた父が救急車で搬送される。
    この時は、CTを撮って帰される。

    (私が心配するという理由で隠していた)

    その2週間後
    8月父が深夜、再び倒れ救急車で搬送される。T病院へ
(この時母が119番できたが、その後父の病状を説明しても、興味を示さない。他人事のようである)

 父は硬膜下血腫だといわれる。その後、誤嚥性肺炎で、硬膜下血腫の手術前に一度危ないといわれる状態になる。

 硬膜下血腫の手術は成功する。しかし、せん妄なのか?

 認知症の症状が現われはじめる。(T病院にほぼ2ヶ月いた)

父は10月に回復期リハビリ病院(S病院系・KR病院に転院。)

この時の主治医に、ふらつきや、幻視、急に固まる(意識がなくなること)などから、レビー小体型認知症では?と言われる。

2012年 8月9月から、母は無気力になり、寝てばかりになる。

    父が家にいないことで、気が抜けたのだろう。
    転んだことで、外出先で、よその人に保護される。
    10月 母が外で倒れ、救急車でY会病院に搬送される。
    大事にはいたらなかった。
    母も(かかりつけ医院がなかったため)整形外科で意見書を書いてもらい、介護認定を申請する。(結果要介護1)。
 ただデイサービスにも、行きたくないと言われ、家で寝てばかりいる母に、おかずやごはん、冷凍うどんなどを運ぶ。

料理は火を通す、お湯を沸かすなどはできるようだった。

この間も、父のリハビリ病院の夕食時、毎日通う。

(母にリハビリ病院に行くようにたのむが、風呂に入ってないので連れ出す事をあきらめる)


父もリハビリ病院で意見書を書いてもらい、介護認定を申請する(要介護5)

2013年2月 父特養に入所できる。
     (それまで8月~2月まで、病院にほぼ毎日私は通った)
   2月下旬 母をやっと神経内科に連れて行く。
       アルツハイマー認知症・中期だと言われる。

2013年3月 母がアルツハイマーの薬を重ねて飲んだ?か
     キレて、私が怒鳴ってしまう。感情が爆発した。

     もう、だめだと思い、包括センターにかけこんで、
     自分が怒鳴ってしまった事、困っている事を言う。

     デイサービスも、ヘルパーも利用できないでいる、
     すべてすすめてくれそうな、近くのケアマネを
     選んですぐに来てもらって欲しいと、頼む。

 

 ここまで。。。とりあえず、Part 1