螺旋
父は7月31日に尿管ステント交換の処置をした。
処置は成功したが麻酔からの戻りが悪いとの説明が泌尿器科のDr.からあった。
その後(嚥下が衰えてしまったからか)誤嚥性肺炎と診断される。
昨日8月4日(10ヶ月前に誤嚥性肺炎で初めて入院した時と同じ)Dr.から説明があった。
このまま誤嚥性肺炎を治療していく事、栄養の状況が悪くなるが胃ロウは考えないか?という事。
胃ロウの件は、10ヶ月前にも尋ねられた事の再確認のようだった。
苦しそうだが胃ロウは考えない、と私は答えた。
10ヶ月前と同じだが、父だけがより弱っている。
同じ事を繰り返しながら、少しずつ弱っていく。仕方ないが
悲しい。
急死や突然死もきっと悲しいと思うが、今の状態も十分私には辛い。
父の日に 父のオムツを買って届ける
現在は療養型病院の空き待ちで
急性期の病院から紹介された病院にいる父である
オムツ持込可なので、実費の方が負担が少ない
(それでもだいたい12000~15000円/月)
ので、アマゾンや近くのドラッグストアーで
オムツを購入し届ける節約屋のわたしです。
もう少しで、この病院を出なければいけない
のが気がかりである。
来し方
自分用まとめ(2017年現在・父86才母87才)
2011 両親が引越しをする。
同じ町内で、500メートルも離れていない場所。
48年ぶりという引越しである。
(この引越しは5~6年前から決まっていたこと。)
引越しの手配は、父がしたが心もとない。小学生みたいなかんじである。(調子の良い時は6年生、悪い時は1年生みたいと感じる)
2012年 引越し後、両親ともに少しおかしい。
2012年 8月初め、外で倒れた父が救急車で搬送される。
この時は、CTを撮って帰される。
(私が心配するという理由で隠していた)
その2週間後
8月父が深夜、再び倒れ救急車で搬送される。T病院へ
(この時母が119番できたが、その後父の病状を説明しても、興味を示さない。他人事のようである)
父は硬膜下血腫だといわれる。その後、誤嚥性肺炎で、硬膜下血腫の手術前に一度危ないといわれる状態になる。
硬膜下血腫の手術は成功する。しかし、せん妄なのか?
認知症の症状が現われはじめる。(T病院にほぼ2ヶ月いた)
父は10月に回復期リハビリ病院(S病院系・KR病院に転院。)
この時の主治医に、ふらつきや、幻視、急に固まる(意識がなくなること)などから、レビー小体型認知症では?と言われる。
2012年 8月9月から、母は無気力になり、寝てばかりになる。
父が家にいないことで、気が抜けたのだろう。
転んだことで、外出先で、よその人に保護される。
10月 母が外で倒れ、救急車でY会病院に搬送される。
大事にはいたらなかった。
母も(かかりつけ医院がなかったため)整形外科で意見書を書いてもらい、介護認定を申請する。(結果要介護1)。
ただデイサービスにも、行きたくないと言われ、家で寝てばかりいる母に、おかずやごはん、冷凍うどんなどを運ぶ。
料理は火を通す、お湯を沸かすなどはできるようだった。
この間も、父のリハビリ病院の夕食時、毎日通う。
(母にリハビリ病院に行くようにたのむが、風呂に入ってないので連れ出す事をあきらめる)
父もリハビリ病院で意見書を書いてもらい、介護認定を申請する(要介護5)
2013年2月 父特養に入所できる。
(それまで8月~2月まで、病院にほぼ毎日私は通った)
2月下旬 母をやっと神経内科に連れて行く。
アルツハイマー型認知症・中期だと言われる。
2013年3月 母がアルツハイマーの薬を重ねて飲んだ?か
キレて、私が怒鳴ってしまう。感情が爆発した。
もう、だめだと思い、包括センターにかけこんで、
自分が怒鳴ってしまった事、困っている事を言う。
デイサービスも、ヘルパーも利用できないでいる、
すべてすすめてくれそうな、近くのケアマネを
選んですぐに来てもらって欲しいと、頼む。
ここまで。。。とりあえず、Part 1
介護も半分過ぎた と思ったら~
介護も半分以上は過ぎた って
思ったら、実は、大詰めに来ていた。
父はこの半年で
誤嚥性肺炎と思われる症状で、3回入院した。
母も、風邪をこじらせて、誤嚥性肺炎で一度入院した。
これは、もう、ほぼ大詰めに来ているということではないだろうか?
感情的なことはあまり書きたくないが
ちょっと泣けてきている。